CherryBlossomsDC in 2016

 

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ところで、同じ八王子千人同心とその血縁であっても、考え方・生き方、

人生の選択は様々でした。行雄の父親である峯尾行正は、八王子市

散田村(現在は町)の名主家出身。武士の風貌を備えた人との説明が

あり、写真を拝見すると、鎌倉武士の風格がある。幕末、板垣退助側

に立ち、戦ったという。行正氏は、われら八王子千人同心の血を

ひいているのだ。千人同心は幕臣であり、徳川の家来である。

 

日光最後の火の番であった石坂弥次右衛門は、板垣率いる官軍に、

戦わずして日光を明け渡したことを非難され、千人町の自宅において

非業の最期を遂げた。介錯なしで、ひとりで逝こうとしたのである。

 

 

八王子千人同心旧交会が発行する冊紙に、副会長であった故・野嶋恒久氏が、

植田孟縉先生について記述した゛余滴二題″という記事の中に家系図を示しておられる。

 

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〜 (一)咢堂 尾崎行雄

孟縉の次女は、散田村の峯尾道正に嫁ぎ、光被、行正を

生む。外孫行正は、長じて相州津久井郡又野村の名主家、

尾崎貞 (サダ)と結婚。尾崎氏を継いだ行正は当主の通称

・彦四郎を襲名した。安政5年(1858)11月20日。

男兒出生。この兒が、後年、我が国の憲政史上不朽の名を

残す咢堂・尾崎行雄である。 〜記事より抜粋。

★野嶋和之氏、有難うございました★

 

尾崎行雄は博覧強識で、その力量を地誌編纂に用いたことで

著名な千人同心植田孟縉先生のひまごにあたります。

(わたくしはそのひまご。とても、うれしいことであります。

共通点はあるものの、行雄とわたくしは似ていると思えない。

しかし、ひまごさまーと、おだてられ続けたからには、

これからでも遅くはない。人生の本舞台は将来にあり。

その生き方をぜひ、見習いたいものだ。

 

尾崎行雄は、まっすぐで、純粋な人であったと思う。人生の落胆を経験したとはいえ、

95歳で他界するまで、意志を貫いた強い人物であるといえる。

 

本日、ひいおじいさまから元気をもらい、有意義な憲法記念日であった。

今後、ひまごとして、恥じないように、生きようと思う。

 

A short tale in Manhattan 

東京とニューヨークは姉妹都市であり、Yukio Ozakiは、The first mayor of Tokyoである。

日本人は、お盆が近くなるとユーレイ話をするが、アメリカ人は、10月末のハロウィーン

近くになると怖い話をしたくなるようだ。LadyMoonが住んでいたマンハッタンEastVillage

にある古い教会がユーレイスポットのひとつである。なんとそこには、年間通して、

The first mayor of New Yorkのユーレイが出没するというのだ。その初代ニューヨーク市長は、

17世紀、オランダ系の人。なぜ、頻繁にご出没なのかReasonは知らないが、地元ニューヨーカー

によると偉大な政治家だったらしい。御自身が足を大ケガしたことから、その教会近くを通る

通行人の足を、クリッとさせるイタズラをするそうである。近くに日系食料品店があることと、

NYUの校舎に夜間通っていたこともあり、いつもこの教会の前を通りかかったものである。

何度か(ヒールの高いサンダルや靴を履いていたせいでしょうか)足をクリッとやられた。

(本当の話)。何人かの知人に話したところ、そのような経験はないというので、

The first mayor of New Yorkから、親善のご挨拶かもしれない。 と、なぜかあとで、

そんな気がした。  At St.Mark's Church in the Bowery

 

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