東欧の吸血鬼伝承

 

 

 

Vampires in the East European folklore 

 

何がひそんでいるのかわからないうっそうとした森に、狼の遠吠え、

毒草をつむ妖術使いや魔女たち

・・・・そんな殺伐とした風土から吸血鬼は誕生したという。

東欧のいたるところに存在する吸血鬼伝承。

まずは、実際に記録されている話からご案内したい。

 

 

★1989年に、ブルガリア西部の町・キュステンディールで記録したという

ある女性 (1913年生まれ)のお話

 

それは、キュステンディールの近くであったことだ。乱暴で手のつけられない男が突然

ぽっくり死んだ。それはおかしな死に方だったそうだ。その男は若くて一人暮らしだった

から、近所の者たちで墓に埋葬してやった。 男には好きな娘がおったが、2人が付き合って

いたという話は誰も聞いていない。ところが、男を埋葬した晩から その娘の家がいきなり、

がらがら揺れだした。夜中になるとダン・ダーンと家ごと地面に叩きつけるようにすごい

勢いで揺さぶられた。そんなすごい揺れは初めてで、家の者達は部屋のすみっこで震えながら

十字架をかざして祈っていた。それでも、揺れはいっこうに収まらず、明け方の一番鶏が鳴く

まで続いた。生きている間、皆の困り者だった人間は、死んでから吸血鬼になって暴れると

いわれていたので、皆、まっ青になってしまった。窓を閉ざしていたから家の者は皆無事

だったが、小屋の羊は固くなって死んでいた。そして、その晩、娘の家の屋根で気味の悪い

ものがうごめいていたのを見たという人がいた。ぶよぶよの大きな皮袋のようなものだった。

「かまどの火は消えていたからあれは煙ではない・あの男の霊がやってきたのかもしれない」

と大騒ぎになった。 次の晩も、娘の家だけガラガラ揺れだして朝まで収まらなかった。

そこで、皆で男の墓を掘り起し、神父に頼んで祈って浄めた。娘の手で男の胸に十字架を

おいてやったら、 その晩から、もう家が揺れることはなくなった。

 

★1732年、オーストリア陸軍軍医の提出した報告書に基ずいた話

 

かれこれ5年ほど前のことだ。メドレイガに住むアルノルト・パウルというハイダック兵

上がりの男が、干草車が倒れてきて押しつぶされ死んだ。そして、それから30日後に

4人の者が急死した。その地方の言い伝えによれば、それは吸血鬼にとりつかれた人間の

死に方だった。そこで一同はアルノルト・パウルが、カッソーバ付近でトルコ領セルビア戦線

にいた頃、トルコの吸血鬼に苦しめられていると、たびたび漏らしていたことを思い出した。

吸血鬼の墓の土を食べ、その血を少し舐めて救われる道を見つけたといっていたにも関わらず

彼が死後、吸血鬼になるのを防ぐ力をもたなかったのである。埋葬後40日目に彼の屍体は

掘り出されたが、身体は鮮やかな血色で、髪も爪も髭も伸びており、血管を満たしている血は

少しも固まっておらず、身体をくるんでいる屍衣の上に全身から流れ出した・・つまり、

彼の屍体には完全な吸血鬼の徴が認められた。墓を開く時立ち会ったその土地の大法官でも

ある陸軍少尉は、吸血鬼信仰の精通者だったから、尖った丈夫な杭で身体を突き刺すと、

アルノルト・パウルは、まるで生きている人間のような怖ろしい叫び声をあげたという。

この処置が終わると頭を切り離して全身を焼いた。あの4人の屍体についても、他の人々を

殺すかもしれないので、同じ措置を施した。しかし、これだけの措置さえも同じ村に死者が

出るのを防ぐことができなかった。5年後、3か月の間に、性も年齢も異なる17人が

吸血鬼の毒芽にかかり死んだという。中でもハイダック兵ヨトウィツォの娘スタニョイカは、

ベットに就いた時には健康だったが、真夜中に目をさまし、ガタガタ震えながら何度も

恐ろしい悲鳴を上げた。9週間前に死んだハイダックのミロの息子が眠っている間に

首を絞めて殺そうとしたという。娘は急にやつれ始め3日目に死んだ。この娘の話でミロの

息子が吸血鬼と判かり墓をあけるとその通りだった。土地の有力者・医者・外科医が集まり、

5年前に予防措置を施したのに、どうしてまた吸血鬼が蘇ったのか?いろいろと調べた揚句、

故アルノルト・パウルは先の4人ばかりでなく、家畜も何頭か殺していた ので、その肉を

食べた者が新しい吸血鬼となり、その中にはミロの息子も入っていたという事実が判明した。

そこで一同は、 一定の時期以降の死者をすべて掘り出してみることに評議一決した。

そうして掘り出して調べた40人のうち17人に明らかな吸血鬼の徴が認められたので、

心臓を突き刺し、頭を切断し、全身を燃やして、その灰は川に捨てた。

 

 

★「ルーマニア史」より

1801年7月12日、シゲスの司教はワラキア君主に請願書を送り、ストロエスティ村

の農民に、もう2度もV�・rcolaci(ブルコラク)ではないかとして、掘り返した死人を、以後

2度と掘り返す許可を与えないよう、地方の領主に命じてほしいと頼んだという記述が

存在する。

 

吸血鬼最前線となってしまったようなルーマニアだが、ここにはどのような吸血鬼に関する

    伝承があるのだろうか。

 

ルーマニアは、ワラキア・モルドバ・トランシルバニアから成り、20世紀に至るまで

1つの国であったことはない。トランシルバニアは長くハンガリー王国の一部であり、

支配層はハンガリー人。現在、人口の四分の一を占めるという。12世紀以降ザクセン人

(ドイツ人)が住んでいる。

 

ルーマニアで、吸血鬼と類似の魔物を表すものとして、Strigoi(ストリゴイ)

Várcolac(ブルコラク)・ Nosferat(ノスフェラト)Murony(ムロニ)、そして、

人狼を表すPricolici(プリコリチ)と、邪霊妖怪の総称としてのMoroi(モロイ)がある。

 

 

Strigoi(ストリゴイ)

 

生けるストリゴイとは、魔女・呪術師のことで、血を吸わない。超自然的な力を所持し、

狼や熊と危害を加えられることなく遊ぶことが可能。魔女は人や家畜に疫病をもたらしたり、

ひとを呪縛したり、醜い姿に変えたりする。そして、雨を呪縛し、旱魃をおこしたりと、

邪悪な魔法を使い、特有の悪事を働く。また、いろいろな動物に姿をかえることができる。

聖ゲオルギウスや聖アンデレの晩に外出し、帰宅すると三度宙返りして、人間の姿に戻る。

魂は肉体を離れ、馬や箒や樽にのって行く。

 

死せるストリゴイは、他国の吸血鬼に相当する。どんな者がなるかというと、羊膜を

破ったまま死んだ子、洗礼を受けない子、私生児、流産の子、離乳後乳を与えられた子、

魔女の子、尾のあるもの、ストリゴイと同じ日か月に生まれたその兄弟、泥棒、悪党、

縛り首になった者、偽誓者、呪術師、人狼等が死後そうなる。あるいは、遺体の上を

動物が飛び越えた死人。外見と行動、予防法および退治法は、他とほとんど同じである。

 

Várcolac(ブルコラク)

 

天に昇り、月や太陽を食べて月蝕・日蝕を引き起こす。洗礼を受けずに死んだ子供が

なったものだという。7年間、昼間は墓の中、夜は黒い子供の姿で、寝ている人の左の

二の腕から血を吸う。そこには赤い痣が残り、9回吸われると死ぬ。7年たつと月へ行き、

月蝕までそこにいて、あとは地獄へ行く。外見は、二頭の犬・竜・犬より小さい動物・

タコのように吸いつく多くの口をもった動物だといわれている。

 

Murony(ムロニ)

 

私生児の両親の間に生まれた私生児。吸血鬼に殺された者の霊。昼は墓の中で、

夜出歩き、飛行し血を吸うが 咬み傷はない。犬・猫・蛙・のみ・くもなどに変身する。

予防措置は産婆が行う。

 

Nosferat(ノスフェラト)

 

私生児の両親から生まれた私生児。 死産ののち葬処より出て、黒猫・黒犬・虫・蝶・

麦わら等の姿で夜行するという。 

異性のもとにきて性的に交わり、相手はやつれて死んでしまう。年配者からは血を吸う。

不妊・不能にする。  99年たつと地獄へ堕ちる

 

 

ところで、アルバニアは、7割がイスラム教徒であるが、吸血鬼はきちんと存在している。

死後40日経つと墓からでて徘徊する。土曜を除く毎夜墓をでる悪人で、油を詰めたヤギの

皮袋の姿をしていて、つかまえようとすると影のように消える。トモリツァ地方では、

親戚や知人の家にきて悪さをする。また、南部のペレルベにはVampiriという名の家族がいて

「吸血鬼」の子孫だという周囲から交際を避けられているが、「吸血鬼」を鎮めるすべを

心得ており、頼まれて他の町にいくことがあるという。退治法として、トモリツァ地方では、

白いオス馬を墓地に連れていき、跳び越えるのを嫌がった墓の上に芝を積み重ね火をつける。

南部のVurvolakでは、金曜日から土曜日にかけての夜、掘り出して焼く。 

 

 

 

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