時を遡り Niagaraにて
DL636 TOKYO 〜 LAX
0:45AM 発 the preceding 6:45PM着
DL1406 LAX 〜 DETROIT
11:20PM 翌日の6:51AM
DL5064 DETROIT 〜 BUFFALO
7:35AM 8:49AM着
( LOCAL TIME すべて現地時刻 ) 電波SolarWatch
時空を超えて、やってきたよ!! 〜QueenVictoriaParkにて〜
これから霧の乙女号に乗船します
前の船が帰ってきた
レインコートを身につけていてもびしょ濡れ
霧の乙女号の後、滝の裏側に行った。
自然美と調和するナイアガラ瀑布水力発電所・・自然エネルギー理想の境地だ
1905年に建てられたが、1999年以降稼働していない。右と↓はナイトイルミネーション用の設備
ここから発電所が見えるはずなのだが霧に隠れてしまった
まじかで眺めると迫力満点
しばらく姿を見せなかったと思ったらStatueになっていたんだね。
滝壺に吸い込まれそうな霧の乙女号
テスラの視線は、大河が滝に変わるテーブルロックにある
JR八王子駅から羽田空港行き最終リムジンに乗車したのは小雨降る10月だった。
デルタ航空受付カウンター入口の画面でペーパー航空券を発券。この航空会社にした理由は、
1998年秋、未来に向けて離陸した渡米の際、利用したのがデルタ航空だったから、
懐かしいのと、ハブ空港がアトランタで、98年も、ここで乗り継いだということである。
ジョージア州アトランタといって連想するのは風と共に去りぬのスカーレット・オハラだ。
丁度その渡米前、日本で、その後のスカーレットというテレビドラマを
上映していたのも記憶に残る。
ところで、ロサンゼルスに立ち寄る訳は、一緒にハリウッドに行って頂く
オルガナイザー大久保長安殿との待ち合わせ場所を決めるためだ。
羽田から10時間飛行の後、ロサンゼルスに到着。時計を現地時間に合わせる。
乗り継ぎまで4時間35分ある。入国審査を済ませ表に出た。しかし、
適当な待ち合わせ場所は見つからない。
どうしても、スティーブン・スピルバーグ監督のもとに、ご一緒して頂かねば・・。
適当な場所がないので、しかたなく、国内線手荷物検査に向かった。
そうしたら、大久保長安殿によく似た派手な日本人男性が、手荷物検査を受けるため、
バスケットから子猫を取り出しているではないか!!日本人男性は、年齢60過ぎ位で、
長身でスリム、目立つ。「Oto-san」とアメリカ人妻らしき女性が見送りにきていた。
大久保長安殿がやってきて下さったのだ!!。
ロサンゼルスを同じ日の23時20分に出発し、デトロイトに向かった。
ほぼ定刻通り到着。ロサンゼルスとデトロイトでは時差があるので、
再び時計を現地時間に合わせる。
広すぎるこの空港は、ターミナル移動のための
モノレールが走行している。日本語の案内板も目立つ。
乗り継ぎ時間は45分しかないので少々あせった。
無事乗り継いでバッファローへ。機内ではスチュワーデスが暇らしく
乗客(特に男)に、よく声をかけていた。
バッファロー国際空港に到着。きれいな空港だ。時計をみると朝の8時45分だった。
羽田を離陸した同じ日の朝に到着。単純に計算すると8時間しか過ごしていないことになる。
グラウンドレベルのターンテーブルから機内預けの荷物をピックアップし、これから、
ナイアガラのホテルに向かうため、エアーバスカウンターへ。エアーバスは、
ナイアガラのホテルとバッファロー空港間の送迎バスで、サイトで事前に予約をした。
乗車5日前迄に予約すると1割引。バッファロー空港からナイアガラ迄40キロある。
途中国境通過で、パスポートコントロールを済ませねばならない。
送迎バスの車窓から眺める紅葉は美しかったが、この日の天気はよくなかった。
無事、国境通過。ホテルに到着したのは、朝10時近くだった。
チェックインは15時だが、部屋に通してくれた。
ComfortInnFallsview は、ビジネスホテル。サービスもよく、部屋もなかなか。
朝食は地下の食堂で、アットホームな雰囲気があり、なにも、
高級ホテルを利用する必要はないと感じた。
私が初めてナイアガラを訪れたのは、1996年秋のこと。その100年前の1896年は、
GE社が、送配電システムを完成させ、ナイアガラ瀑布とバッファロー間40キロの送電が
開始された年だ。この時、ナイアガラ瀑布水力発電所に採用された交流発電機のプレート、
製造に必要な13件の特許のうち9件がニコラ・テスラのものだった。
テスラの交流システムが勝利した瞬間といえよう。ニコラは、子供の頃、おじさんから、
ナイアガラのイラストを見せられ、巨大な水車を動かすことを思い浮かべて
「活用してみせる」と。それから30年後、その言葉どおりになったのである。
1996年は、ツアーで、ナイアガラを訪れた。ここの名産品といえば、アイスワインだ。
ナイアガラ・オン・ザ・レイクというかわいい街のワイナリーで、アイスワインを試飲した。
ところで、″コニカ・ミノルタタワー″というのが、近年の観光コースに入っているようだ。
むかし、むかし、LadyMoonの父上は、そのコニカ本社の役付だった。
EssayのHrvatskaシリーズに書いた2年に一度、ドイツで開催されるエキシビションとは、
"フォト・キナ″です。
ある年、スティーブン・スピルバーグ監督がフォト・キナにやってきたそうだ。
霧の乙女号に乗船した。滝の裏側を見た。そして、12年ぶりに会えた。
ここでぜひ、 MonroeWalk
を、やってみたかったが、足がもつれて、時差ぼけも伴い、体力が限界に。
ホテルに戻り、8時には眠ってしまった。
帰りの送迎バスの中、私のパスポートを見ながらオフィサーが「日時が合わない」
といった。でも、OKが出て、バスはそのまま空港へ向かった。
"ついに時空を超えたんだ″ 雲間からは青空がのぞいていた。
これからナイアガラは冬支度に入るだろう。ゴート島に行かれなかったのは残念だったが、
春の草花が芽吹く頃、あるいは、紅葉のシーズンに、
また、訪れようではないか。