本日(2011年3月19日)NewYorkTimes紙 publisher@nytimes.com <publisher@nytimes.com>
に送信したEメールです。そして3月20日、シカゴ在住知人アメリカ人のジェフさんが、
NYFDに転送して下さいました。
Dear Sir or Madam:
Please read this
http://v2002moon.g2.xrea.com/LadyMoonProfile.html
I was living in New York from 1999 to 2005 and met with the Sep 11.
The only thing we need is the firefighters of NYFD whose bravery on that day.
Sincerely,
Lady Moon
アメリカ時代から、朝食はコーンフレークだ。しかし地震以降、私が行くと、スーパーや
コンビニに全くない。さては、へいみんが!! 被災地行きだけで、こんなになくなるだろうか?
食料品が全くなくなっているスーパーやコンビニ棚に?へいみん力″を見る今日この頃である。
ところで、東京都八王子市は被災地に一億円を寄付したいという方針を打ち出した。
赤ちゃんも含めて一人200円を寄付すれば、一億円に到達するそうである。
もっと寄付できると思う。 Mar 21 , 2011
原発事故後処理が先進国日本のすることとは思えない。中で作業する従業員の
放射能測定器は、一人1個ではない、グループで1個ずつだ。放射能に晒されているのに
作業着も軽装に見える。そして、放水をずっと続けていなければならない。そもそも、
こういったことは、遠隔操作ロボットの作業であり、人間の行うことではない。日本は
ロボットも優秀だったはずだ。原子力専門家の来日も遅いし、事故後処理が迅速に
なされなければ、原子力が優れた国どころか、先進国とはいえないのだ。Apr 1, 2011
ボロい原子炉、よくもれるよー。
? 鉄腕アトム″というマンガがあり、テレビでも放映されていた。 親戚のおじさんが
アトムの大ファンで、語ってくれたことがある。印象的だったのは、アトムが核爆弾をもち、
太陽へと向かっていく最終回だ。 今日本に世界に必要なのは、アトムのような心優しい
ロボットだといえよう。ところで、足立区を除き、東京23区は計画停電エリアから除外されて
いるのを今まで知らなかった。なんという不公平さだろう。足立区には被災者の方々が避難
している場所があるし、電気がなくてはならないビジネスが、計画停電地区に多数存在するの
だから。確かに、東京中心部、皇居を取り巻く地域の電気が消えたら、日本としてみっともない。
でも、千代田区や中央区のようなオフィス街は、夜間から早朝のみの停電にするとか、工夫
してほしい。それに、世田谷区や杉並区は住宅街だから計画停電エリアに入れてもいいはずだ。
生贄にされている地区は文句をいいたくなる。夏になれば、冷蔵庫の中味が腐ったりと電気に
細心の注意が必要だ。 Apr 3, 2011
揺れる・もれる・詰まる・たれ流す・・・毎日がこの繰り返しだ。日本って、こんな国だったの?
余震活動も活発だが、天災に負けてはならない。更に、個人で、地域で、学校及び職場で、
防災対策をしっかりと見直し強化して、事が起きた時に備えるべきだ。八王子市は、
数か月前のTokyoWalkerで 「住んでみたい街・住んでよかった街」に入らなかったが、
歴史的に「天災の被害がない」というのが 最大の売りなのです。ところで、昨日は、
かなり花粉が飛んだみたいだ。ついに8日付で、ハナカミ王女″となりました。買いだめは
控えましょう。特に、ティッシュペーパーは・・・・・。 Apr 9, 2011
防災用以外にも利用法は様々、持ち運びもできる便利な寝袋。
LadyMoon渡米後にも力量を発揮。マクロス 1人用寝袋 MCZ-5252 防災グッズ
Apr 16, 2011
やっと数日前、原子炉にロボットが入った。遠隔操作で歩行し中を撮影したが、3号機は
瓦礫が多く転んでしまったようだ。ところで、原子炉の修理に最も適したロボットを発見した。
?スターウォーズ″ に出てくるR2だ。R2は、7がロボットで、3が人間だろう。自主的に
その場所に行き、どんな故障でも修理できる優れたロボットである。当初、歩行のみだったが、
下記を観たら、飛んでいた。早急にR2に登場して頂きたい。
スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃 [DVD]
Apr 21, 2011
昨日4月24日執行の、八王子市議会議員選挙で、わたくしが投票致しました第七中学校
卒業生の候補者が当選しました。なぜ、このひとに投票したかって? わたくしも同じ中学の
卒業生だからです。八王子千人同心の千人町は七中です。これから、七中卒業生のために、
全力を尽くして下さいネ。 Apr 25, 2011
耐震措置を行おうと本棚を整理していたら、偶然、出てきた懐かしい写真。
ちょうど10年前の本日(2001年4月29日(Sun)撮影されたものです。
ニューヨーク、ブルックリン・ボタニカルガーデンの入口は、桜を愛する人々で
にぎわっています。 Apr 29, 2011
ゴールデンウィークのある日、六本木の国立新美術館で開催されているシュルレアリズム展を
観に行った。シュルレアリズムとは、偶然性・夢・幻想・神話・共同性などをKeyに、人間の無意識
の世界に新しい美や真実を求める芸術運動だ。1924年、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが
パリで?シュルレアリズム宣言″を発表。20世紀芸術運動の口火を切った。私の好きな画家
サルバドール・ダリも、シュルレアリストの一人だ。絵画というものは、自分が良いと感じたものが、
一番なのだと思っている。シュルレアリストたちの絵は、解りずらく「何を言いたいのだろう?」と、
じいっと観賞するところに醍醐味がある。?欲望の解剖学″というのが楽しかった。
欲望がなければ、人間どころか、生き物ではない。無意識の表現こそ、真の芸術だといえよう。
May 10, 2011
BSで、プラシド・ドミンゴを放映していた。4月来日は知っていて、観に行きたかったのだが、
見逃してしまった。さすがに、世界のトップだけある。プラシド・ドミンゴはスペイン人。だから、
最後に歌った?グラナダ″が最高。ツアーで、スペイン・アンダルシア地方を訪れたのは、
渡米前の9月のことだった。グラナダでは、ロマが、フラメンコを踊る洞窟を訪れ、夜になると、
アルハンブラ宮殿では、鎧兜を身につけた西洋の騎士が現れ、魔法の絨毯がどこからともなく
飛んできて、スルタンが宴を催す、そんな、西洋とアラブのロマンを体験した。
プラシド・ドミンゴの歌う?グラナダ″で、そのロマンがよみがえった。May 22, 2011
最近、地震保険に加入する人が増えているようだ。地震保険は火災保険とセットでなければ
加入はできない。損害保険の発祥といえば、海上保険である。19世紀頃、カリブの海賊から
船荷を守るために、開発されたのだそうだ。ところで、10年ぶりにカリブ海に行きたくなった。
アメリカからだと3泊4日のお得なツアーがあるが、日本からは、マイアミまで行って、
目的の島に飛ぶ。あるいは、クルーズがベストだろう。LadyMoon、この夏、本気になって
ジャック・スパロウ船長をお縄にしたい。2001年夏のカリブ海 June 3, 2011
フロリダのマイアミ、プエルトリコのサンファンそしてバミューダを結ぶ海域は、
“通過中の船舶や飛行機が突如消息を絶つ”魔の三角海域として恐れられている。
1世紀以上も前から、100を超える船や飛行機、1000人以上が残骸も何も残さず
行方不明となっているのだ。LadyMoonは大のSFファン。子供の頃からこの
バミューダトライアングル(Bermuda Triangle)には興味があります。
当時読んだ本では、この海域は"?四次元との境目″つまり、消息不明のひとたちは、
別の世界へ行ってしまったのです。10年前の今頃は、来月バケーションで訪れるカリブ海に、
心弾ませておりました。が、10年後の今月は、なんとつまらない毎日を送っていることか。
刺激を求め、どうしても異次元に行きたくなって、今このバミューダの話をしております。
大手町時代、同僚ではないが、男性社員が出張でカリブ海を訪れることになった。
もちろん、バミューダも旅程には含まれている。「彼、無事戻ってこれるのかね?」
と同僚たちは皆、気使っていた。カリブ海に点在する関連会社(幽霊会社)を訪問する
わけだが、バミューダから船でナッソーへ行くとか言っていた。そうなると、まともに
魔の三角海域を通過することになる。今、地図をよくよく見てみるとわたしも10年前、
ナッソーで、その魔の海域の端で、泳いでおりました。泳ぐというよりも、海にプカプカ
浮かんでいた。潜れば熱帯魚が泳いでいたのは覚えているが、
何を考えていたのだろう。・・・あの時自分は四次元の世界にいたのかも!!
と想像すると無償にうれしくなった。その大手町の男性社員は無事戻ってきた。
なぜか、やけに嬉しそうだった。四次元の会社を訪問したからに違いない。
バミューダトライアングルの謎は、科学的に解明しようと試みられているようだ。が、
LadyMoonとしましては、この海域、永久に?四次元との境目″であってほしいのです。
June 5, 2011
宗教の話は、よくないのではあるが、自分は常識ある人間だし、この程度は、かまわない
のでやらせて頂く。6年前の帰国以来、退屈な日々に限界がきて、それを通り越している
可愛そうなかぐや姫だと思って頂ければ幸いです。ある日、ニューヨークのサラダバーで
Lunchをとっていたら、近くに座っていた黒人のおばさんが、「わたし、ブードゥー教を信仰して
いるの」と友達らしき女性に真面目に話していた。振り向いたら、そのおばさんは、私の方を
見てにっこりした。太っていてひょうきんそうなおばさんだったので、その時は、なんとも
感じなかったが、体から太い針が千本も出てきたというブードゥー教呪いの話を思い出し、
後になって気味が悪くなってきた。アメリカ人の友人に言ったところ「間違いなく、彼女は、
カリブ海からきている」。いろんなひとがいる、だから、ニューヨークはとても楽しい。
ブードゥー教というのは、カルトとは違う。民間信仰だ。病気は体内に悪霊が入ったと考える
ところは他国と共通ともいえる。ハーレムにはブードゥーグッズを販売する店もあるようだし、
本来は、民俗的で素敵なものなのに、呪いとかダークな面だけが強調されてしまっているようだ。
今度、カリブかニューオリンズで、是非、儀式を拝見したいものである。June 13, 2011
3月頃、ニューヨークで起きたblackout (大停電)の話を書いたが、地震で消失してしまった。
まだ過ごしやすい梅雨のうちに思い出し、経験をまもなく訪れるであろう灼熱地獄に活かしたい。
2003年の夏、まだ明るい16時頃プッツンしたと記憶する。原因は電気の使い過ぎだ。
地下鉄はストップ。暗くなってから、ブルックリンブリッジを歩いて帰る人々。ポートオーソリティー
バスターミナルに溢れる人々。自分は住まいが近かったから、歩いて帰ることができたが、
ブザーは鳴らず、エレベーターは止まり、非常階段はまっ暗。99¢ショップで、キャンドルと
着火グッズを購入し、暗く蒸し暑い階段を7階まで上がる。自宅に入ってもエアコンが効かない
ので、ともかく暑い。日本から持ち込んだアイスノン を首に巻き、なんとか眠れた。明け方頃、
電気が戻ってきたようだ。アイスノン3個で、なんとか朝まで持ちこたえることができた。しかし、
冷蔵庫を開けると、中味はすべてメルトダウン。2011年6月の日本。すでに、熱中症で
運ばれてしまった人多数。?冷房の風が必要不可欠″なのだが、昨年夏の日本では、暑さを
あまり感じないお年寄りが節電で冷房を使用せず、朝起きたら亡くなっていたということが、
連日起きていた。室温が28℃を越えたら、遠慮せず冷房を使用しなければ命に関わる。
昨年、ネッククーラー を2本購入した。涼しくて結構役立つが、1時間すると温まってしまうので、
数本購入し、使用したら即冷やし、ネッククーラーリレーする必要がある。先日、電気屋さんを
訪れたら、冷感シャツなるものを販売していた。ネッククーラーと同様イケルかもしれない。
アイスノンも役にたつが、blackoutしてしまうと、冷蔵庫が使用できなくなる。自信のあるひとは、
至急、自家発電機を製造するのがよいと思う。 June 20, 2011
電気のしくみ 自分のような科学オンチでもよく理解できる。顔を出さないでよエジソン!!
電気はわたくしのニコラ様よ。
6月24日、日野自動車の株主総会に出席した。JR日野駅から送迎バスに乗車し、
5分足らずで、日野自動車本社に到着。見たところ出席した株主女性は自分を含めて
3人しかいなかったようだ。気になっていた茨城移転の件、もしかして地震であきらめて、
そのまま日野市にいてくれるのかと思ったのに、やはり平成32年迄に、工場のみ、
すべて移転だそうだ。茨城県古河市移転の理由として
?メーカーが、北関東に集中 ?道路のアクセス状況が良い
?若い人を採用しやすい ?広大な坪数
だそうだ。日野市は江戸川区とともに、東京都では、福祉にすぐれており、お年寄りの
病院送迎も無料だった。工場移転した場合、すぐれた福祉が継続できるか不安である。
日本は、高齢化社会を迎える。長年、日野自動車本社工場で働き、発展に貢献し、
年をとって体が弱くなったひとたちが、従来通りのすぐれた福祉を受けることができること、
そして、今後なお一層の発展を、長年のストックホルダーとして、日野自動車株式会社に願う。
June 25, 2011
レディガガをTVで見た。ニューヨークの裕福な家庭で生まれたせいだろう、見た目の過激さとは
異なり話し方がおっとりしていて、知性があり、人柄の良さが伺える。過激なコスチュームも
センスが良い。私と同じく、2001年、同時多発テロを体験したと言っていた。もしかして、
グリニッジビレッジ辺りで、彼女と会ったことがあるかもしれない。わたくしが、ニューヨーク滞在中
に見た有名人といえば、ビル・クリントン元アメリカ大統領である。偶然見たのではありません。
待ち伏せしちゃたんでェーす(^○^)2004年6月、ビルは?My Life "という自伝を発表し、
WallStreet近くの書店Bordersでサイン会を行うというので、ランチタイムを利用し、というか、
無理やりランチタイムにし、ビルを見に行きました。元アメリカ大統領のサイン、とっても欲しかった
のですが、サインをもらうには、明け方から8時間、書店前に座りこみ、順番を待たねばなりません。
ほぼ、定刻だったでしょうか。歓声があがり、黒いバンがやってきました。「キャーっ、ビルーっ」
と、思わず叫びそうになりましたが、理性が邪魔をした。黒いバンから降り立ったビル。小顔で、
すらっとしていて、TVで見るよりも、はるかにかっこいいです。でも、とってもシワが多いんです( 一一)。
近くにいた観光客らしき男性は「けっこうおぢいちゃんなんだな」。ボディーガードに守られたビルは、
軽やかに、書店に入っていった。あー、ますますニューヨークに帰りたくなりました。June 30, 2011
7月4日は、アメリカ独立記念日である。EastRiverに花火の打ち上げを観に行ったのが
昨日のことのように思える。アメリカの小説、学生の頃、読んで感動したことは殆どなかったが、
渡米前に初めて出会うことができた。7月4日に生まれて 著者ロン・コビック氏の自伝である。
映画化され、トム・クルーズが主役を演じたようだ。ロン・コビック氏は、1946年7月4日生まれ。
輝けるアメリカの独立記念日に生まれた。高校生の時に観た映画?硫黄島の砂″で、
主役のジョン・ウェインが、日本軍と激戦を繰り広げ、最後に、硫黄島に、アメリカ国旗を立てる姿に
大変な感銘を受けた。「あれこそが、あの姿こそが、アメリカの栄光だ!」と、映画に感銘を受けた
コビック青年は、自らベトナム戦争に参戦する。しかし、ベトナムに着いたとたん、爆弾が炸裂し、
気がつくと病院のベットの上にいた。19歳で半身不随になったコビック氏。
アメリカの栄光に憧れたのに、そのやるせなさ、悲しさ、くやしさ・・どんな言葉もあてはまらない。
しばらく荒れた生活を送っていたコビック氏だったが、その後、反戦活動家としての人生を
歩んで行く。小説では、「戦争とはきたないものである」と、病院の様子を生々しく描いている。
ロン・コビック氏、今、どこで何をしておられるのか。ぜひ、お会いしたいものです。 July 4, 2011
世界中の送電を可能にしたのは、悲運の天才科学者ニコラ・テスラ様です。
Nikola in クロアチア・スミリャン村の生家
写真提供:クロアチア政府観光局 July 6, 2011
Sretan rođendan, Nikola!!
Happy birthday
ニコラテスラは、1856年7月9日から10日にかけて、
クロアチア山間部のスミリャン村で生まれました。
ところで、スペースシャトルは、もう終了します。
わたくし、帰りの交通手段を失ってしまいました。
別の乗り物をこれから探さねばなりません。 July 9, 2011
節電とは迷惑で大変なものである。某市役所が節電のため、営業時間を午前中だけにした。
市役所のような公共機関なら、営業時間午前中のみも可能だろうが、民間企業だったら
生産効率が悪い事この上ない。工場が、日本国内で十分な電力を得られないため、国外へ
移転する話もでている。海外で働くには、その国の永住権・労働査証・労働許可書のいずれかが
必要である。なければ、不法労働者となる。労働査証が発給されるのは、責任者あるいは
スーパーバイザー位で、工場で働く従業員全員を海外へ連れていくことは不可能。先日、
菅首相が脱原発宣言をした。人々の生活は、原子力発電なしでは、成り立たない現状だが、
徐々に、切り替えていくことは可能であろう。ところで、再生可能エネルギーには、
どのようなものがあるのだろうか、調べてみた。?水力発電 ?太陽光発電 ?風力発電
?地熱発電 ?バイオマス発電 ?海洋発電(潮力・波力)であった。
どれくらいの電力を得られるのか、どれくらいコストがかかるのかは解らない。それぞれに
問題もある。しかし、日本の未来のため、人と地球にやさしいエネルギーに変換していく努力を
していかねばならない。 July 14, 2011
大地震と原発事故以来、連日、シートベルトを締め続けていたが、
先日、なでしこJAPAN優勝という明るいニュースが入った。
"美しさとは強さなり″ やはり日本女性は世界一である。 July 19, 2011
台風6号が去り、また、灼熱の日々が戻りそうだ。
来週は、涼しいところに行っています(涼しいことを願う)。 July 21, 2011