関 東 の 王
平 将 門
わたくし12年前迄、東京大手町の金融にて会社員をしておりました。
あの時は制服姿で、1週間に1度は必ず、将門様の前を通り、
取引先迄歩いて行ったものです。
JR中央線・お茶の水駅で下車、徒歩5分で神田明神に到着。ここは
江戸の総鎮守で、だいこくさま・えびすさま、そして、まさかどさまを、
ご祭神としている。しかし、現在、神田明神のご祭神を巷のひとに尋ねれば
“平将門公”以外の名を挙げるひとはまずいない。わたくしが、神田明神で
連想するものはと聞かれると、「銭形警部ー!!」と答えてしまう。
同年代のひとなら、おそらく同じことをいうだろう。
左の写真は、将門さまの御神輿。娘で妖術使いの滝夜叉姫もいる。
滝夜叉姫は、大蛇の化身であるともいわれ、父親を殺した朝廷への
リベンジを果たす為、京の都で、丑の刻参りに励んだという伝説も存在する。
2.3年前であっただろうか、大手町の会社員達が、この御神輿を担いでいる間、
ずっと晴天だったのに、担ぎ終えた瞬間、空模様が一変、スコールが・・・・。
神田明神は、秋葉原電気街が氏子となっているため、珍しいIT情報安全守護なるものを
売っている。わたくしのパソコンもアキバで購入したし、千人同心という日本料理屋さんも
あるようなので、買ったほうがいいかしらと思った。
さて、12年の歳月がたつと、いろいろと変わるものでございますが、
ここ神田明神から大手町の首塚まで、迷わず歩くことができました。
そして、無事、将門様との再会を果たすことができ、感動で瞳うるうるです。
将門様は健在にございます。
大手町に就任した当初、わたくし、将門様が好きではございませんでした。
知人のおばさんが、都内ウォーキングツアーに参加。「ああ疲れた」といって
首塚にどっかりと腰をおろした。その翌日から痔になってしまい、治らないのだ
という。首塚に背を向けて座っていた会社員が、何人も原因不明の突然死。
自分も春の健康診断で不整脈がでてしまい。低血圧だから心配ないとは
思ったものの、いきなり、「うっ」と心臓麻痺をおこしそのままというケースが
大半のようだ。警戒せねば、まさかどにやられてしまう!!。わたしはまだ
若い!!。おしりを向けただけで殺されちゃうなんて油断もすきもない。
千年以上も前になくなった武将である。いつまで、やる気でいるんだろう。
いい加減に往生してほしい。気を配る対象は上司・先輩・お客さんetc・・
大勢いるというのに、怨霊1コが加わってしまった。
煙たい・うざい・めんどくさい以外のなにものでもなかったのであります。
しかし、春が過ぎ、初夏の訪れと共に、のどかで、可愛いカルガモに夢中に・・・。
将門様をすっかり忘れてしまったのでした。
とはいえ、将門様の前を必ず通っていたわたくしです。あるときを期に発想の根本的転換というか、
嫌いが好きに、そして、どうゆうわけか、深い尊敬の念へと変化していったのでございます。
日本には、古来より御霊信仰なるものがあり、志半ばで亡くなった者や非業の最期を遂げた者の
魂が祟り神となり、現世に災いや疫病をもたらすというものだ。しかし、逆に御霊を手厚く祀れば、
福をもたらすとも信じられていた。早良親王(桓武天皇の弟)・菅原道真そして平将門が著名で、
日本3大怨霊という。古くは、神泉苑での御霊会。現在も続いている京都八坂神社の祇園会など、
疫病が流行りやすい夏に祭りを行い、御霊を慰めようとしたのです。
確かに、志半ばに非業の死を遂げた人物は大勢いる。しかし、将門様の志は消滅するどころか、
死んでからの方が末永ーく活躍している日本史上稀な有名人である。それに、貴族で領主、
人間をはるかに超越したPowerをもつあのルーマニアのヴラド・ツェペシュ(吸血鬼ドラキュラ)
と類似する。つまりィー、将門さまって、わたくしの、
好きなタイプではないかぁー\(^○^)/
日本の至る所で、語り継がれる将門伝説。くま大名家近くにも、現在でも平家が住んでおり、
将門伝説も存在する。
平将門とは、どんな人物だったのだろうか、二部に分けて振り返ってみよう。