国連平和維持軍の派遣
ヴァンスは、PKO(平和維持活動)担当の国連事務総長グールディングと共に、
現地調査を行った上で、11月23日に、ジュネーブの国連ヨーロッパ本部において、
協議を行った。ジュネーブ協議には、ヴァンス、キャリントン、ミロシェヴィッチ、
トゥジマン、カディイェヴィッチが参加した。それ迄の経験から、交渉の推移と戦闘の情勢が、
微妙に絡み合うことが明らかであったので、会談終了後、その内容が極秘にされた後、
24日にヴァンスが、無条件停戦に関して合意が達成されたと発表した。
この停戦合意も相変わらず完全には遵守されなかったが、ヴァンスは国連平和維持軍の
展開地域などに関する交渉に移った。展開地域については、当初ミロシェヴィッチが、
クロアチア内のセルビア人地域とクロアチア人地域との境界への展開を求めていたのに対して、
トゥジマンは、共和国間の境界のみに限ると主張していた。しかし、
交渉に臨むトゥジマンの立場は、決して強くはなかった。ヴコヴァルが陥落し、
オスィイエクなど、西スラヴォニアの戦場でも、情勢が不利であったからである。
また、クロアチア外相シェパロヴィッチによれば、ドイツ外相ゲンシャーが、
詳細は後回しにして本質部分を受け入れるよう、トゥジマンに忠告したという。
結局、トゥジマンは国連平和維持軍のクロアチア共和国内への展開を認めた。
クライナ・セルビア人共和国誕生
12月19日、クロアチア国内にある二つのセルビア人地域、
クライナ・セルビア人自治区とスラヴォニア・バラニャ・西スレムセルビア人地区が統一された。
クライナ・セルビア人自治区議会は、新憲法を制定、"クライナ・セルビア人共和国″と宣言。
スラヴォニア・バラニャ・西スレムセルビア人地区議会も、同じ日に、
クライナ・セルビア人共和国に加わることを決定した。首都は、クニンに定められ、
初代大統領には、クニン市長でもあったバビッチが選出され、内戦終了後、
クライナ・セルビア人共和国には、UNPROFOR(国連保護軍)が展開することとなる。
ヴァンス和平合意へ
ヴァンス和平案の主な内容は以下の通り
・クロアチア領内の3地区を国連保護地区に指定する。
1.東スラヴォニア(5行政区)2.西スラヴォニア(4行政区)3.クライナ(13行政区)
・国連保護地区からは、人民軍、クロアチア国防隊、他の正規・非正規のあらゆる部隊が徹退、
武装解除され、保護地区が、完全に非軍事化される。そして、UNPROFOR(国連保護軍)が
監視を行うというものである。その後、保護地区は、東部方面(東スラヴォニア)、
西部方面(西スラヴォニア)、北部方面(クライナ北部)、南部方面(クライナ南部)に、
分けられた。
後は、派遣の前提条件である停戦合意であった。ヴコヴァル、ドゥブロヴニクでは、
情勢が沈静化していた。オスィイエクでは、依然として戦闘が継続していたが、
次第に下火になっていく。人民軍が各地で封鎖を解除したり、徹退したりする一方で、
トゥジマンもクロアチア警察隊に対して、クロアチア人武装組織を一掃するよう命じ、
更にミロシェヴィッチは、和平案への同意を強調した。
そして、1992年1月2日、国連事務総長個人特使ヴァンスが、1991年11月23日、
サラエボにおいて、ユーゴ人民軍第5軍管区副司令官ラシュタと
クロアチア国防相シュシャクが署名した停戦合意が遵守され、
クロアチア大統領トゥジマンとセルビア大統領ミロシェヴィッチ
そして連邦国防省ガディイェヴィッチの署名を得たと発表した。
ヴァンス和平合意が達成され、クロアチア内戦は1992年初めに、終結した。
しかし、クライナ・セルビア人共和国大統領バビッチが、ヴァンス和平案に同意せず、
隣国ボスニアでは、さらなる内戦が、胎動しつつあった。
スラヴォニア (Slavonija)にて
画像提供:クロアチア政府観光局