スラヴォニア (Slavonija)にて

SlavonijaA 

画像提供:クロアチア政府観光局

 

 

アメリカ人とPたちは、鮮明に異なる点がある。アメリカは偉大なる島国、

世界の出来事や危機情勢にアンテナが立たない傾向があるのに対し、

Pたちは全く逆だ。

 

13Daysは、いい映画だからといって、観に行くことを勧めたのはPだ。そして、 

"MEGUMI″の名を初めて聞いたのも、恥ずかしいことにPからだし、

NYTimes3月10日東京大空襲の記事を、提示してくれたり、

ロシア大統領プーチンに対抗する党の女性党首は、日本とロシアの混血、

日本人の父親は"サムライ貴族″であるというNYTimesの記事も、

「あなたと同じ」といって教えてくれた。

 

 

  クロアチア政府とセルビア人に関する議論は、不調だった。

 

7月26日、ドゥブロブニクで開かれた連邦幹部会では、セルビア人が多数を占める地域に、

クロアチア政府が武装部隊を展開させないように、セルビア人側が求めたのに対し、

クロアチア政府は、その前日に生じた人民軍とクロアチア国防隊との大規模な軍事衝突に関する

調査委員会の立ち上げを要求した。他方で、30日には、クロアチア議会の

「民族的平等の擁護と進歩に関する委員会」は、クロアチア内のセルビア人を、

?分離独立権を除くあらゆる権利を有する主権的民族とする″として、

政治・領域的な自治案を提示してもいたのだった。

 

連邦幹部会は、8月3日に、無条件停戦に関する決定を行ったが、

連邦幹部会議長のメスィッチがそれに同意していない為、

副議長ブランコ・コスティッチ主導で決定された。従って、

この決定に基づいて行われたポース、ファン・デン・ブルック、

ポルトガルのピニェイロ(イタリアのデ・ミケリスの後任)という

EC3外相による仲介活動も失敗に終わり、クロアチアに展開しているEC監視団の

任期延長に関する合意も得られなかった。その上、ミロシェヴィッチは交渉を決席した。

連邦幹部会が機能しえないことから、6大統領の直接会議である

6人サミットの復活ともいえる解決模索の試みもあったが、結実しなかった。

 

クロアチア側では、まず、トゥジマンが、クロアチア議会臨時議会において、

セルビア、人民軍を激しく非難するとともに、断固たる姿勢を内外に示した。

8月3日には、副首相のグレグリッチが首相に昇格し、

クロアチア民主同盟出身者12名の他、各政党からの参加が求められた上、

無所属2名、専門家6名が参加し、セルビア人1名を含む、挙国一致内閣が組閣された。

 

この間も、クロアチア国防隊・警察隊とセルビア人武装部隊、人民軍との衝突は更に大規模化し、

8月中旬になると、既に、派遣されていたEC監視団への攻撃も行われるようになっていった。

クロアチア国内の事態は、特に東スラヴォニアで悪化していた。

 

クロアチア政府東スラヴォニア・バラニャ危機本部長のシェクスが8月下旬に行った報告によれば

人民軍が、電力・水道・食糧の配給を封鎖しているという状態で、東スラヴォニアの要塞の

ヴコヴァルでは戦闘が激化し、アドリア海沿岸の軍港・スプリトでは、25日に人民軍の兵舎が

逆に封鎖されるなどしていた。しかし、戦闘の全般的な情勢は、軍事力に優る人民軍とセルビア人

武装部隊が有利であった。そして、9月はじめには、クロアチアの国土の約3分の1を

セルビア人側が掌握する状態となった。

 

ECの仲介手続が、ひとまず結実したのは、9月2日のことだった。ベオグラードにおいて

「停戦に関する協定」と「監視活動の延長に関する合意についての覚書」の2点につき

合意が達成された。調印したのは旧ユーゴ連邦側から、メスィッチ連邦幹部会議長、

マルコヴィッチ連邦首相、6共和国の大統領、EC側からはオランダ外相で、EC外相会議

議長のファン・デン・ブルックとEC12カ国の大使であった。「協定」では、人民軍、

クロアチア国防隊が兵舎に戻ること、監視員の安全を保護することなどで、合意がなされ、

4項目からなる「覚書」では、7月7日のブリオニ合意、7月13日にベオグラードで

調印された「ユーゴにおける監視ミッションに関する合意についての覚書」、そして、

9月2日の「協定」に従ってEC多国籍監視員が、10月3日迄、活動することが定められた。

 

戦場で優位なセルビア人側が、停戦を求めることはなかった。しかし、セルビア人内では

相変わらず内部統一がなされておらず、バビッチ議長対マルティッチ内相のクライナ・

セルビア人自治区主導権争いに加えて、クロアチア・セルビア民主党のバビッチ率いる

急進派とラシュコヴィッチの穏健派の対立があり、更に、クライナと東スラヴォニアという

東西間の争いが常に存在していた。しかし、戦場で優位であったクライナ・セルビア人自治区

とスラヴォニア・バラニャ・西スレム・セルビア人地区の両政府は、同政府を代表している

のは、ミロシェヴィッチでもトゥジマンでもないという理解では共通していた。そして、

自分たちが欠席した会議での合意に反発する。何よりもクロアチアの枠内でのセルビア人

自治はバビッチが挙げた選択肢(ボスニア・クライナとの統一、セルビアの枠内での自治、

連邦の枠内での自治)のどれにも当てはまらず承服できないものだった。

 

バビッチによれば、セルビア人は戦闘を好むわけではないが、

クロアチアのシステム内での平和は求めないというものだ。

 

 

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参考書籍