Sir.KUMA’s Resume

 

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徳川幕府槍奉行八王子千人同心頭・窪田氏に属したくま大名とは、

どんなひとだったのでしょうか。ご紹介いたします。 Kuma's ID

 

八王子の昔話にありますように、初代くま大名は、武田の落武者で、

落ちてきて住みついた処が平家の里とされておりましたが、遥かなる昔、

平安時代、その里にいつのまにか姿を現した最初の一族なのだそうです。

私のかぐや姫説は有力となって参りました。

武田の落武者がその平家一族と一緒になり、新たに王国を築いたと推測します。

 

明治初期迄、武田軍時代の甲冑が屋敷内にあったとのことです。

 

94歳で天寿をまっとうした最後から2人目のくま大名は、話によると頭脳明晰で容姿端麗、

人柄も抜群とのこと。申し分のない人物だったようです。

 

千人同心(当初は別の呼び名でした)となったのは初期で、最初の250人の一人とされております。 

八王子千人同心は、半士半農が普通ですが、我がくま大名家は、江戸時代から現在に至る迄、

農業には全く関与しておらず、千人同心のイメージからは、かなり、

かけ離れていることをお断りしておかなければならないでしょう。

 

くま大名の場合、日光火の番の他は、関所の最高責任者そして寺子屋の校長を務め、

肩書および内容共に、直参武士です。領主で山林王は弟(次男)に任せ、封建制度から

出現した資本主義的思考によって、この地に繁栄をもたらしたといえるでしょう。

 

くま大名の名が銘記された八王子市指定文化財の碑がございます。くまのいる碑

 

i344 第二次長州征伐の杯

 

徳川幕府直参として、江戸初期、三代将軍家光の棺を警護したことが記録に残り、

江戸末期、長州征伐第二次幕軍で出兵し、神戸付近で、14代将軍が亡くなった。

どうやら、毒殺されたらしいと聞き、八王子に引き返して参りました。

 

江戸時代を通じ、お金に困ったことはなく、貧乏とは無縁。村人が大名と呼んだように、

白さやの刀を脇差にし、宮殿のような屋敷に住み、西洋風にいうサムライ貴族の名を

不動のものに致しました。明治に入り禄がなくなっても、広大な山林を所有していたので、 

悠々自適だったのです。

 

寺子屋の生徒たちは、授業料代わりに、野菜を持参してくれました。

 

くま大名の功績は、江戸時代、林業で雇用促進を行っていたこと。そして、

寺子屋で、質の高い教育を提供したことでしょう。 

林業では、明治時代には従業員100人以上だったと聞いております。

  

なお、村人には明治まで名前しかなく、全員、くま大名の苗字をマネしてつけました。

これも、功績かもね。

 

わが先祖・くま大名は、素晴らしい直参であり、領主であったことは間違いなく、

誇りに思っております。

 

 

上記の通り相違なし

   

LadyMoon

   

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